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story

Basballとバット
バスケットボールのコート

誕生~スポーツ青春時代

 

昭和39年10月22日、玉置病院で生まれました。

幼少期は、いつもチューチューと指を吸っていたらしく、いつも指がふやけていたそうです。

小学校では、プロ野球選手を目指しソフトボール、少年野球漬けでしたが、自分の実力を知り小学校卒業で野球はあきらめました。

東陽中学校では、メンバーチェンジが無制限にできるスポーツの(これなら少しは出番があるかも)バスケットボール部に入部。そのまま田辺高校、武蔵工業大学(現・東京都市大学)、地元の社会人チームと続けました。現在は、サラリーマン時代から始めたゴルフに夢中です。

 

建築への道

 

大学は、実家が工務店だったことで、迷わず建築学科を選択、関西圏の大学希望でしたが、最終的には関東圏に進学しました。バスケット部活動に夢中になりすぎ、大学生活を5年間

過ごしました。もっと大学での勉強をマジメにしておけばよかった!と今は反省しています。

卒業後、ハウスメーカーに就職し、配属先の奈良で妻と出会い結婚し、長女が生まれました。

父親が元気なうちに色々学びたいと思い、サラリーマンを5年過ごしたのち、

跡継ぎとして、家族と共に地元の和歌山に戻りました。

ソーラーサーキットとの出会い

 

地元に戻り、ハウスメーカーでの経験を生かし、スタイリッシュな住宅の設計施工を目指し手掛けました。その後、ある設計士との出会いから、紀州材をふんだんに使った木の家を施工する機会が増えていきました。

 

しかし、紀州の温暖な気候や潮風、台風被害の多さなどから、木の家を長持ちさせるには【湿気対策】を徹底的にやらなければいけないと気づきました。

住まいと健康

 

夢中になって紀州での家づくりに励んでいるうちに、自分自身のライフスタイルが大きく変化していることに気づきました。

 

3人の子どもたち(一男二女)が進学を機に次々と家を離れ、いつの間にか夫婦二人暮らしになりました。

子育て中に必須だった2階建て、4LDK、子どもたちの個室などが必要ではなくなり、代わりにお互いの時間や価値観を尊重しながら、コンパクトに移動や掃除ができる住まいに価値を感じるようになりました。

 

またこれから老後を迎えるにあたり、子どもたちに迷惑をかけないよう、できるだけ長く健康的に動ける身体を維持しなければいけないし、ボロボロになった実家を【負動産】として子どもたちに残したくないという思いも強くなっています。

 

今はもちろん、老後もずっと紀州で暮らしていくこと考えると、改めて【人】と【家】の《健康寿命》を伸ばすソーラーサーキット工法の凄さを実感することになりました。

 

人生100年時代と言われる今、

折り返しである50代からの暮らしを

もっと楽しく、

もっと豊かに、

もっと健康に。

 

紀南でずっと暮らす皆さんにとっての理想の家づくりをこれからも追い求めていきたいと思います。

木造梁
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